2014/07/16

ヒーリングと身体  家族へのてあて


レイキヒーリングをはじめて気づけば7年と半年ほど経ちました

最近またヒーリングと伝授に向き合う機会が増え、自分のはじめに立ち返って考えていました。とはいえ、はじめたころはまったく「ヒーリング」という行為さえ知りませんでした

この数日、不調時代の咳が再発していましたが今日自分で原因究明ができました。

先々週....大阪の大雨で、ちょっとおしゃれしていったばかりに、つるつるの底の靴ですてんと転んでしまっていました

整体の師匠が、ちょっとぶつけたりとかでも身体は大きく変わることがあると良く口癖のように言っていたのを思い出しまし
このところセルフヒーリングも強化していたのですがあらためてそれを思い返して今朝
改めて自分の身体をチェックすると...仙骨の様子がおかしい。

しばらくシンボルを入れたり手を当てたりしてヒーリングしていると、
ここ数日のいや〜な「咳がいつ出るかわからない」という状態が終わりを迎えたのを感じました。

そして午前のクリアゼーションで最後大きく咳き込み...
さらに身体が変化したのを感じました。

小さい頃、私は良く転ぶ子でした
そしていつも咳き込んでいました
ひょっとして転ぶたびにこういう変異がおこりつづけていたのかと思います

肺は悲しみの臓器とも言います。悲しみをこらえすぎると咳が出るとも。





この先は私事、すこしまじめな話になりますが興味のあるかたはお読みください

最近家族が小腸と大腸の間に腫瘍が出来ているのが見つかり、
取り除くための手術をしました。

先生の話を聞く際に私も立ち会わせていただき、一通りの説明が終わった後、
「大学病院のため、今後のために腫瘍を検査の対象にさせていただくこと」そして
「手術前に20mlの採血をさせてほしい」と言われました

父は心臓も弱っており、血流を増すための薬も服用しており、血が止まらなくなる可能性もあると聞いていますがご存知ですか?と聞くと
知っていて、それには問題ない程度だと先生はおっしゃいました

でも私は70代の父に、2時間の手術
そしてチェックなどを含めると5時間と聞いているその手術で
たとえ少量でも血をとることを拒否しました

きっと両親だけだと、yesを言っていたと思います
戻ってきた家族三人の病室で、父も母も「不安だけど断れないな」と思っていたと聞きました
けれど私に大切なのは、採血でも、これからの西洋医学を発展させることでもなく
父の命です そのための手術です。
重要なのは少しでも不安要素を取り除いて、手術に望むことでした。

日本人は、いえ、ひょっとしてこうして 小さな、ちょっと動揺を含んだyesで
命を落とした人もいるかもしれませんが
私はそこで「いい人」で居ることは必要ないと感じます


のべ5時間の手術を終え、当日は本当に死んでしまうんではないかと思った父の顔色が
翌日は起き上がって歩けるほどになっていました

その間私もヒーリングや足裏のマッサージを医師の許可を得た上で行わせてもらっています

父が生きている心拍数のモニターを見ながら 手当てしながら何度も泣きました

悲しいのではなくて ここに生きようとしている命の強さに。



手術の前日から父に手紙を書いています

いつどうなるかなんて人はわかりません

いままで怪しいとおもわれるので(苦笑)あいまいにしていた私の 
ヒーリングという行為について、そして呼吸の大切さについて。

父はそれを読んで泣いたと言います
泣かせたかったんです。泣くとこころがほどけます。
正確に言うと、いままで 人のために頑張ってきた父に
この手術をきっかけに、自分の命を生きて欲しかったから。

父は病院が好きで、薬を几帳面に飲み続けていました。
それは両親に頼ることができなかった父の最大の依存のように思えていましたが
私は止めることが出来ませんでした。

先生に自分の病状を話すことで、父は安らぎを得ている、そう感じていました。

それでも父は自分の病状を事細かに本で調べ、
手術の日までに一冊のノートを作り上げていました

自分が納得できるために。先生の話を聞きながら自分が調べてことと一致していると
誇らしげにしていました。


私は自然療法を信じていますがそれは私自身のことです

それでも必要になれば手術も病院も行きます

ただもし、命が生きようとしているのに病気が治らないことがあるとすると
”「痛み」(現状)を感じていないようにしているから”ではないかと最近は感じています

現実を見るのは時に悲しく辛いこともあります

父は痛いときに痛いと言わずにがまんするような
周りを笑わせてしまうような人でした

だから そこはもう やめてほしかった
笑わせるのは
自分が元気なときだけで十分だよ、と。


とはいえ、手術後戻ってきた病室で
苦しいのにふざけて周りを笑わせようとしている父も居ました

でも、泣いたことで少しだけ
心がひらいた そんな気がしています

いままでは わたしの手当てにふと身体をずらしていた父が

おとなしく、心地良さそうに触らせてくれます

ヒーリングをしていると、ぐるぐるとお腹が鳴り、痛いと言う父に
「きっと今、縫い合せた腸が困惑しているんだよ」と言ったら笑っていました

そしてそのあと縫い合わせた小腸と大腸を通って便が出ました

人間の本来のからだのちからは、本当に素晴らしいと感じています

食べることが大好きな父 元通りまで行かないまでも
また食べる楽しみを味わえるようになりますように....


今回のことで、少なからずヒーリングや呼吸法の知識があって
本当に良かったと思いました
かなりの緊張はありましたが、落ち込むこと無く
まっすぐに医療と向き合えた気がしています

代替医療としてまだ認知度も少ないヒーリングですが
重い病気のひとほど、他人が触るのを嫌がります

どうか、レイキが誕生した頃の日本のように
家族の手当をご家族ができるような国に戻ってゆきますように

私も一人の手当人 レイキマスターとして
広い視野をもちつづけ、出来る限りのことはさせていただきたいと思っています



長文 私事をお読みいただきありがとうございました

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